ディープサウス(8/15)

 ガンジス源流のあとはアンドラプラデシュ州南部の聖地ティルパティへ移動し、アンドラ大のH先生と合流。H先生の妹さん宅に泊めていただき、寺詣りざんまい。
 初日はH先生と妹さんといっしょに車で出発し、ティルパティのお寺かと思いきや、州境を越えて、となりのタミルナドゥ州ティルバンナマライまで4時間かけて遠征した。だいたいどこの寺も参拝料金別に3コース位あり、「並」だと長蛇の列で並んで待つところを、「特上」だと一番奥まですいすい通してくれる。H先生姉妹はあらかじめ寺の関係者に連絡して、特上コースで入れてもらった(中はカメラ、携帯、履き物禁止)。

(ティルバンナマライの塔門)

 これで終わりかと思いきや、帰り道の途中親戚の家に寄り、お買い物もして、さらに近くの「ゴールデンテンプル」参拝。ティルバンナマライはまだインドでも有名なお寺だが、ゴールデンテンプルは、1990年代に何とかいう聖人がはじめたお寺で、その名の通りすべて黄金でできたお寺で、日が暮れてライトアップされるとまぶしいまぶしい。きょーれつなお寺だ。ここでももちろん「特上」コースで、料金は何と一人1000ルピーだった。

(ゴールデンテンプル:絵はがき)

 翌々日、本命ティルパティのティルマラ寺院は「特上」コースの予約がキャンセルになったとかで中には入れず、まわりのお寺や博物館を見学。ティルパティは世界で2番目に金持ちなお寺だそうだ(1番はバチカン)。とにかくすごい数の参拝客が連日押しかけ、「並」コースだと中にはいるのに2〜3日かかるらしい。当日も行列の長さは5kmあったそうだ。インドでは超有名だが、外国人はまったく見かけなかった。成田山や川崎大師みたいなものか。

(ティルマラ寺院内部:Tirupati History and Albumより)

 H先生が「来年もインドへ来るか」とたずねるので「そのつもりです」と答えたら、来年もう一度来ましょう、だって。たぶんそんな時間はとれないなあ。


北インド南インドではお寺のデザインもちがうし、第一神様の外見もちがう。東京のインド雑貨店のブロマイドにあるようなお目目ぱっちりの神様ではなく、全身まっ黒、顔の半分位が覆面のように白地に赤の縦線で塗られている(ビシュヌ神の化身のベンカテシュワラという神様)。

(Tirupati History and Albumより、右は奥さんのラクシュミ;吉祥天、左は別の奥さん)

蜘蛛の糸(8/9)

 ある日のことでございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。蓮の葉の間から下界のようすをご覧になりますと、ヒマラヤ山中でたくさんの人や車がうごめいております。大きな崖崩れの両側で、車が長蛇の列を作っているのでした。崖崩れは高さ100メートル以上もあり、いつ通れるかもわかりません。
 この列の反対車線に割り込んで、前へ前へと行けば、すぐにここからぬけ出せるのに相違ございません。しかし、数かぎりない車たちが、やはり前へ前へと一心に押しよせて来るではございませんか。そうこうするうちに対向車線にトラックがやって参りました。もう前にも後ろにも動きません。
 お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかりぬけ出そうとする無慈悲な心が、お釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。極楽ももうひる過ぎになったのでございます。



(landslide between Rudraprayag and Srinagar)

インドのパワースポット(8/7)

 ガンジス源流から下流のリシケシへ下り、こんどは支流のアラクナンダ川を遡り、世界遺産「花の谷」と標高4000mのヘムクンド湖へ向かった。早大院生Iさんともリシケシで無事合流できた。
 この道も巡礼街道だが、道行く人は皆ターバンを巻いている。バイクに二人乗りでサングラスにオレンジ色ターバンの月光仮面みたいな人たちが次々とやってくる。バスや自家用車もターバンの人たちでいっぱい。
 ヘムクンド湖はシーク教の聖地で、ふもとの町(ゴビンダガート;1800m)から九十九折りの道を行列で登ってゆく。途中には数百mおきに茶屋があり富士登山みたいなのだが、馬や輿や背負い籠で行く人もいる。
 標高3000mのガンガリアまで一日がかりで登ると、突然巡礼宿やレストランや土産物屋の並ぶ「町」になった。シーク教の寺院もある。翌朝は早朝4時頃から気合いを入れる巡礼者のかけ声とお寺から流れるお経で目をさました。
 時間節約のため、ガンガリアからヘムクンド湖までの登りに馬を使ってみた。約2時間で1000m登り、ヘムクンド湖に着くと、まるで富士山の剣が峰と同じで、神社(シーク教寺院とヒンドゥー寺院)もあり、人であふれている。Iさんいわく、「ここはインドのパワースポットですね」。なるほど。

(Lake Hemkund)



※「花の谷」は2005年に世界遺産に登録され、こちらはヘムクンド湖の数百分の1位の人しか来ない。標高3500m位まで広い谷が続き、名前の通り一面のお花畑になっている。最奥の氷河を望むモレーン上のポイントが終点で、残念ながらガスが晴れなかったが、ツリフネソウやシオガマ、キキョウ、ヤナギランなどが咲き乱れていた。ヒマラヤの「青いケシの花」もあった。

(Valley of Flowers)

(Himalayan blue poppy)

ガンジス源流紀行(3)氷河を越えて(8/1)

 ガンゴトリは車の終点で、お寺と巡礼宿や巡礼グッズの店が並ぶ小さな村だ。あのガンジス河が滝となって落ち、下流側は幅数mしかないものすごい峡谷になっている。聖地になっているわけだ。

(ガンジス本流の滝:ガンゴトリ)

 ここからトレッキングで源流のガンゴトリ氷河をめざす。ポーターがキャンプ道具や荷物を運んでくれるので「大名旅行」だが、標高4400mでキャンプするので高山病対策も必要となる(血中酸素濃度を測る道具持参)。
 一夜明ければ青空が広がり、前日はダメといわれたトレッキングの許可もおりて、奇跡的に出発できた。氷河末端のゴウムクまでは巡礼道のため比較的歩きやすい。両岸は比高1000mくらいありそうな花崗岩の岩壁で、アメリカのヨセミテみたいだ。谷は広く、巨大なU字谷だが、岩壁下部に巨大な岩塊を含む砂礫がへばりついている。大きく崩落した箇所は「立ち止まらずにす早く通過しろ」とガイドにいわれる。ああ、これがラテラル(側壁)モレーン(氷河の運んだ土砂のつくる土手状の地形)なんだ。それにしても、河床から200m以上の高さがあり、むちゃくちゃでかい。ガンガーすごい。
 途中のボジバサで一泊し、いくつかのターミナル(末端)モレーンをこえて、ついにガンゴトリ氷河の末端のゴウムクに着いたが、氷河から流れ出すガンジスはすごい水量で、氷河の直下には近づけない。断面にはわずかに青い氷が見えているが、氷河は土砂に覆われてガラガラの岩屑の海のようだ。ガンガーすごい。

(ガンゴトリ氷河を望む)

(ガンジス河の始まり:ゴウムク)

 ここから氷河の末端を横断して、対岸のラテラルモレーンをよじ登り、タポバンという高地(4460m)に着くと、天上の別世界のような平原で、正面には支谷のメルー氷河の巨大なラテラルモレーンが壁のようにそびえている。
 ガスが晴れると、ガンゴトリ氷河の対岸にバギラティI〜III峰(6860m)、裏手にマッターホルンのようなシブリン峰(6540m)がそびえ、岩石氷河という、岩屑のつくるへんな地形がうろこ状に分布している。
 もとからボキャブラリーが豊富ではないのだが、どちらを見てもこの世のものとは思えないものすごい景色で、ガンガーすごい、としか言えなかった。

(ガンゴトリ氷河とバギラティ峰)

※ガンゴトリ氷河の編年についてはSharma and Owen (1996)、タポバンの岩石氷河についてはOwen and England (1998)参照。

※※標高4400mのタポバン高地のあちこちに、行者が住んでいる。毎年冬になると下山し、夏の間は岩屋で生活している。ここに住んで20年というおばさん行者がいたのにはたまげた。

ガンジス源流紀行(2)通行止め突破(7/28)

 リシケシから源流の手前のガンゴトリまでは車で丸2日の行程で、ガンジスの谷を遡っていくと、出発して2時間足らずで前方通行止め。いよいよ来たか。現場を見に行くと、道路を横切る沢が増水して滝のようになっている。水量が減るまで待つしかない。路線バス?は客を降ろして引き返し、降ろされた客は歩いて沢を渡って行く。この先で別のバスに乗るらしい。ピストン輸送というわけか。屋台の茶屋は大繁盛、この先も数か所通行止めがあるらしく、対向車線はまったく車が来ない。
 待つこと2時間半、少し水位が下がったかなと思ったら、「インド・チベット国境警察」のバスがまず沢を突破して通行止め解除。しかし30分ほどで次の通行止めでまたストップ。こんどは崖崩れ。高さ30m以上の礫層の崖が崩れており、すでにパワーショベルとブルドーザーの1台2役の重機が土砂をどかしているところだった。段丘礫なのでどけるのは比較的簡単、約1時間で開通。インドやるなあ。

(インド・チベット国境警察のバスが突破)


(1台2役パワーショベル+ブルドーザー)

 次は支流の沢がものすごく増水しており、どうみても渡れそうにない。ところがここもパワーショベル+ブルドーザーが下流側で踏ん張って、まずは両側のバイク(数十台)を数人ずつでわっしょいわっしょいと担いで渡し、次にポリスのジープが突破するとあとは軽自動車みたいなのまで渡っていく。少しくらい増水しても通れるようになっているらしい。インドやるなあ。

(支流の沢の激流も突破)

 第4関門は急斜面の岩盤崩壊で、ブルドーザー出動中だが、数十mの崖の上からときどき岩片がすごい勢いで落ちてくる。はがれやすい頁岩の流れ盤(斜面方向に地層が傾いている)で、日本だったら永遠に通行止めだよと思うところを、そろりそろりと車を通して約1時間でクリア。
 翌日も出発後5分で道路の真ん中に巨大な岩が2ヶ鎮座。ほんの数分前という感じで、我々の車は3台目。少しもあわてず(?)宿に引き返してティーブレーク。2時間弱で開通の情報が入り、岩はそのままだが倒木をどかして車が1台通れるようになっていた。

(巨大な岩が鎮座)

 ありとあらゆる斜面崩壊のパターンを揃えましたというすごい道で、ガンジスは怒濤のように流れ、通行止めは数時間で突破、いやー本当にたいへんなところだぞ。

ガンジス源流紀行(1)オレンジの人の波(7/27)

 ガンジス河の源流はインドヒマラヤにあり、ガンゴトリという聖地があるらしいことをきいていたので、ブータンにも同行したT夫妻とガンジス源流訪問を計画した。
 雨季のため、途中の道が崖崩れで足止めになるとさんざん(日本の旅行社に)おどかされ、アンドラ大の先生にも「崖崩れの写真を撮ってこい」とかいわれて、果たして本当にたどり着けるのか、(本当に)賭けのようなスタートだった。
 デリーでT夫妻と合流し、ガンジス河が平野に出るハリドワールというところに向かうとまもなく、道路の対向車線をおみこしのようなものを担いだオレンジ色の人の群れがぞろぞろと歩いてくる。はじめはお祭りかと思ったがそうではなく、聖地ハリドワールでガンジスの水を汲んで、デリー近郊まで百数十kmを徒歩で戻る巡礼者の行列だった。おかげで国道は片側通行、ハリドワールは車で通過できないとのこと。そんな話聞いてないぞ。

(ハリドワールから戻る巡礼者の波)


 「巡礼街道」を避けて大きく迂回しながらハリドワールの対岸の道路経由で、ヒマラヤ前座のシワリク山地の聖地リシケシに到着。リシケシの「ガート」(沐浴場)へ行くと、雨で増水したガンジスがまさしく怒濤のように流れていた。

(ガンジス河畔:リシケシ)


※リシケシでのガンジスの最大流量は、現地の看板によれば1995年9月の毎秒9614トンで、実は利根川の1947年カスリン台風のときの洪水流量(毎秒17000トン)よりもはるかに少なかった。

アジャンタ・エローラ(7/22)

 アジャンタとエローラは超有名観光地ということで、日本からもたくさんツアーが出ている。ムンバイからアウランガバードという地方都市に行き、一泊してアジャンタとエローラを各1日ずつ見学するのが標準プランのようだ。ネットで探してムンバイ発着一泊二日アジャンタ・エローラ現地パッケージツアーに申し込んだ。
 アジャンタは仏教の石窟寺院で壁画が有名、エローラは仏教・ジャイナ教ヒンドゥー教各種ございますで壁画はなく彫刻がみごとで、いやーすごい迫力。アンドラプラデシュの仏教遺跡でみた僧院跡や、カンボジアヒンドゥー寺院に通ずる底流を見た気がした。


(アジャンタ石窟)


(アジャンタ第1窟 蓮華手菩薩)



エローラ第32窟ジャイナ教寺院)


エローラ第16窟ヒンドゥー寺院)

※インドに来て初めてお腹をこわした。パッケージツアーなので全食事付きなのに、アウランガバードのホテルで、ついにディナー(カレー)が食べられなくなってしまった。まさか自分がこんな思いをするとは・・・。